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祭り年間行事

1月/初詣・裸参り・どんと祭

初詣(1月中)

初詣

元旦の午前0時、太鼓の合図が鳴り、新年を迎えます。新しい年を迎え、多くの人たちが大石段をのぼって初詣に訪れます。新年を迎え、感動を味わえる瞬間です。1年中でもっとも境内が賑わうときで、3が日で20万人を超す人々が参拝します。 初詣は正月に初めて神社にお参りすること。元旦にこだわらず、正月3が日、あるいは1月7日までの松の内にすればよいといわれています。

正しいお正月の迎え方教えます

  • お正月を迎える準備

    Q. 正月を迎える準備は、どのようにしたらいいのでしょうか

    A. 新しい年を清々しく迎えるために、暮れが近くなりましたら、家の大掃除(すす払い)をします。そして、神棚も丁寧にお掃除をすませ、神社から戴いた新しい御神札(ごしんさつ)にお取り替えします。[御神札や年神様(としがみさま)の祀り方(まつり方)は別に記しておきましたので参考にして下さい]玄関に松飾りや牛蒡〆(ごぼうじめ)を飾り、家の中には鏡餅(かがみもち)を供え、お正月を待ちます。

  • お正月の飾り(門松・牛蒡〆・鏡餅)

    Q. 正玄関先の飾りの意味について教えて下さい

    A. 玄関先に門松(かどまつ)や牛蒡〆(ごぼうじめ)を飾るのは、家庭に福をもたらして下さいます、年神様(としがみさま)の道標(みちしるべ)とお考え下さい。松は常緑樹で一年中葉を落とさずに、いつでも瑞々しいことから神の宿る木とされています。また牛蒡〆には、松の葉、昆布、尾頭つきの小さなお魚(田作り)などがつけられ、玄関先に飾りつけます。牛蒡〆や神棚のしめ縄は、神社でお頒けしています。玄関飾りは正月の7日に片付けます。(7日までを「松の内」と呼ぶのはこのためです)

    【松】
    松の木の形が枝を空に向けて広げ、神様を待つように見えるので使うようになりました。又松は常緑樹で枯れ落ちることがないので、不老長寿を意味します。
    【田作り】
    田作りはカタクチイワシの稚魚を塩水で洗って干したもの。江戸時代、田の肥料にして田を作ったので、五穀豊穣を意味します。
    【昆布】
    こんぶは悦ぶ(よろこぶ)に通じます。

    牛蒡〆
    • 牛蒡〆 初穂料  500円
    • しめ縄 初穂料  1000円~3000円

    Q. しめ縄につける、ひらひらした白い紙や、神棚のまん中においてあり串などに刺し、両方にたれている紙などは、神社で作っていただけるのですか。

    A. しめ縄につけてある白い紙のことを「紙垂(しで)」といいます。また串などにさしてあるものを「幣束(へいそく)」といい、どちらも正月前に御神札と一緒に取り替えるものです。神社でお作りしておりますので、お申し出下さい。(幣束の場合は、串をお持ち下さい)

    Q. 鏡餅を飾るのはなぜですか。

    A. 餅は単に賑わいだけの正月飾りではなく、家に幸福を授けにお越しになる年神様が宿る「依り代ろ(よりしろ)」です。神様の宿った鏡餅は、正月が過ぎたからといって捨てたりしてはいけません。昔は十一日にお雑煮やお汁粉にして家族みんなで戴きました。これを「鏡開き」といい、神様の宿った餅を体内に入れることにより、一年の福と健康を祈ったのです。今の時代は電子レンジやホットプレートなど様々な便利な調理器具がありますから、工夫し柔らかくして、簡単な磯辺焼きみたいにされるなどして召し上がるのもいいでしょう。「どんと祭」にお持ちになり焼却をしようとされる方がいらっしゃいますが、神社では鏡餅の焼却はお断りしております。鏡餅は食べて体に入れるものです。

  • 神棚のお正月の準備

    Q. 神棚にあげた御神酒はどうしたらいいですか。

    A. 神棚には毎日、お米・御神酒・塩・水をあげます。毎日おとりかえするのが一番いいのですが、毎月ついたちとか、日にちをきめておとりかえするのもひとつの方法です。

    お下げしたお米や御神酒は、神様から戴いたお下がりですから粗末にしないで、お米は普段のご飯と一緒に炊いて召し上がり下さい。御神酒はお飲みにならなくても料理などにお使い下さい。 お正月にあげた御神酒は、松があけて(1月8日以降)にお下げしてください。

  • 古いお札やお守り

    古いお札やお守り

    Q. 古い御神札・御守や七日迄飾ったお正月の松飾りはどうしたらいいでしょうか。

    A. 1月15日までに神社にお持ち下さい。古い御神札や正月の松飾りなどを焼納する「どんと祭」でお焚き上げ致します。午前10時に火が入り、深夜まで火がついています。

  • 厄年の人のお正月

    Q. 「厄年」って何?

    A. 女性は数え年33歳、男性は42歳が人生の大厄に当たる年と言われており、人生の中で一番充実してくる年でもあり、家庭の中でも社会的にも責任が重くなる年頃であります。一方、人生の中で肉体的にも精神的にもちょうど疲れなどが蓄積してくるピークでもあり、気をつけなければならない年です。このような年を、健康で充実して過ごすことができるよう、ひいては周りのみんなが幸せであるよう、けじめのお祓いを受けて人生を見つめ直す年であります。

    これまでの人生に感謝し、これから先も無事息災で家族みんなが幸せであることを願い神社にお参りし、これから先の御加護をお祈り下さい。 ※詳しい月ごとの運勢をお知りになりたい方は社頭にて郷土暦をお求め下さい。(初穂料500円)

    Q. 数え年ってなんですか?

    A. 数え年とは、生まれた日を一歳とし、正月を迎えると2歳とする年の数え方です。(正月で一つ年をとる)お正月のことを「年取り」というのはこのためです。厄年の年回りをはじめ、七五三、年祝[(還暦(かんれき)、古希(こき)、喜寿(きじゅ)など]などもすべて数え年で計算します。

    Q. 「厄祓(やくばらい)」のお祓いはいつ受けるのがいいでしょうか。

    A. 数え年で説明しましたように、お正月から年齢の計算がはじまります。節分(2月3日)の頃までに、厄祓いを受けることをお奨めします。もし、都合がつかない時でもできるだけ早めにお祓いを受けて下さい。

    厄年は、ちょうど身体の変調期や社会環境の変わり目にもあたり、体調を崩しやすいもので、一年間は健康に留意して生活して下さい。

  • 年内に身内に不幸があった時

    (忌服(きぶく)と忌明け(いみあけ)の祓い) 毎年、年末近くになりますと、御家族や御親族に不幸があった時のことについて、お尋ねがありますので、「忌服(きぶく)」についてご説明します。

    Q. 人が亡くなると「忌服(きぶく)」とか「忌中(きちゅう)」「喪中(もちゅう)」という言葉を耳にしますが意味を教えて下さい。

    A. 「忌服(きぶく)」あるいは「服忌(ぶっき)」とは、家族や親族が亡くなったとき、一定の期間を喪に服すことです。

    「忌(いみ)」とは、死をおそ畏れ忌みはばかるという意味で、派手なことを控えて身を慎み、故人の死を悼み、御霊をなご和めるための期間のことで、最も長くて50日間(仏式で49日)とお考え下さい。その期間の内にあることを「忌中(きちゅう)」といいます。 「忌明け(いみあけ)」とは忌みの期間(50日)を終えたことを言います。 よく、葬儀と同時に初7日、35日、49日の法要を済ませることが多いようですが、法要を済ませたからといって、この期間は「忌中」の内であることに変わりはありませんから、慎み深くお過ごしになり、静かに故人のご冥福をお祈りしながらお暮らし下さい。 「服(ふく)」とは、もともと喪服を着用することをいい、忌明け(五十日)の後も身を慎み、悲しみを乗り越えて平常心に立ち返ろうとする期間のことで、「喪中」とはその期間のことを指し、その期間は本人の心得とされ、長くて半年とお考え下さい。

    Q. 忌服の期間は、故人との関係により違いますか。

    A. 「忌」の期間は、一般的に下の表を目安として下さい。

    「服」の期間は、昔は一年間といわれましたが、多忙な現代社会では困難です。現在では「本人の心得にまかす」ということになります。「服」の期間は、悲しみを乗り越えて平常な生活にもどるための「心のけじめ」をつける期間とされ、それぞれの心情にゆだねられるものですが、ただ時が過ぎるのを待つのではなく、自分との関係において長くても半年を目安にするとよいでしょう。 忌(いみ)の期間

    • 50日: 父母、配偶者、子
    • 30日: 祖父母、孫、兄弟姉妹、配偶者の父母
    • 10日: 曾祖父母、曾孫、甥姪、血族伯叔の父母、子の配偶者、配偶者の祖父母、配偶者の兄弟姉妹
    • 3日: 兄弟姉妹の孫、従兄弟姉妹、血族伯父伯母の祖父母、兄弟姉妹の配偶者、孫の配偶者、配偶者の曾祖父母、配偶者の甥姪、配偶者の血族伯父叔母
    • 1日  その他の親族

    (データp2-1-1-4) 忌引きのこと 勤務先や学校等を休む時の「忌引き(きびき)」を「忌」の期間と誤解している人もありますが、「忌引き」は勤務や授業に大きな支障の出ない範囲内で定められた、勤務や授業を休むことのできる日数のことであり、「忌」の期間の一部に過ぎません。

    Q. 喪家(不幸のあった家)としての「忌(いみ)」の期間はどのようになりますか。また神棚はどのようにすればよいでしょうか。

    A. 前記までの「忌」の期間は、故人との関係による一個人の「忌」の期間のことをご説明しました。同じ家の家族が亡くなった場合には、葬式をおこなった家としての「忌(いみ)」が家族全体に生じ、その期間は50日間となります。神棚は、家族が亡くなったことを報告し、扉を閉め、正面に白い紙を貼って神棚を覆い、忌明け(いみあけ)(50日)まで、お供えとお参りを遠慮します。神葬祭、仏式葬を問わず、死後50日後に、「忌明け(いみあけ)の祓い(はらい)」を神職の奉仕により行い、神棚の白い紙をはがしてもらい、扉を開けて戴きます。

    Q 年内に不幸があったら、正月の祝い事はできないし、お伊勢様や氏神様の御神札を受けられない」と聞きましたが・・・。

    A. その家の主人、あるいは喪家として「忌明け」(50日)している場合にはお正月を迎えることも(ただし、例年のお正月より慎ましやかにお迎えするぐらいの配慮は必要かと思います。)、御神札をお受けすることも、また年賀状を差し出すことも差し支えありません(「忌明け」されていても「服」の期間とされているのであれば「寒中見舞い」として近況報告を出すのもひとつの方法です)。「忌明け」していない場合には、50日以降適当な日をもって、神職に出張して戴き「忌み明けのお祓い」を行い、御神札をお取り替え下さい。 お正月が「忌中」(50日内)期間にあるときは、お正月の神社へのお参りは遠慮し、小正月、または旧正月、あるいは忌明け祓いを済ませた後、あらためて神社に御参拝になり一年間の家内安全、無病息災をお祈り下さい。 「忌明けの祓い」について 元来日本人は「死」を最も重大な「けがれ」としてきました。死の「けがれ」とは汚いとかの意味ではなく、生まれながらにして神様から戴いたみずみずしい「気」(正気(せいき))が「枯(か)」れた「気枯(きか)れた」ことを指し、生きる力を失ったことを恐れ悲しむ心から「けがれ」ととらえられてきました。 この「けがれ」に触れることによる、自分の生命力の衰消や連鎖的な家族親族の「気枯れ」を恐れ慎むものであります。 「忌明けの祓い」とは、家族の死という、この上ない大きな悲しみを乗り越え、死に向き合った(気枯れに触れた)家族が、正常に戻るための区切りの儀式で「これ以上不幸が重なりませんように」という祈りと「家内安全」の願いをこめて、不幸のあった家と家族をお祓いするものです。 ご家族に不幸が生じたときは、その葬送が済み、死後日以降をもって「忌み明けの日」とし、神社より神職の出張を願い、忌み明けの祓いの儀式をお済ませ下さい。 忌明けの祓いのお申し込み 盛岡八幡宮では、忌み明け(いみあけ)のお祓いを御奉仕申し上げます。神社にお電話(019ー652ー5211)を下さり、「忌み明けの祓い」をお願いしたい旨お申し出下さい。


裸参り(1月15日)

新しい1年の防火と無病息災を祈願して行われるお参りで、藩政時代から伝えられています。夕方、各町内の方や近隣の青年達が20人位をひとグループに、約130人が裸参りをします。その格好は、素裸にさらしを巻き、腰みのをつけ、太しめ縄を背負い、頭にはちまき、口に紙をくわえ、わらじばきです。鐘の音に歩調を合わせて手と足を大きく振り、悠然と歩きます。以前は旧暦12月15日に行われていました。


どんと祭 (1月15日)

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正月の松飾りなどを、清めの塩をまきながらお焚きあげする行事です。 市内各地から集まったお飾りや破魔矢などが山積みされた前でお祓いをして、1年の家内安全・無病息災をお祈りします。

2月/節分祭・火防祭(2月3日)

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節分祭の豆まき

盛岡市消防団による纏振り(まといふり)

 邪気をはらい、幸運を祈る行事です。節分はもともと季節が変わる前夜のことで、とくに冬から春に変わる立春の前夜のことを指すようになりました。神事の後、年男・年女たちによって豆まき式が行われます。

4月/梅宮例祭・祈年祭

梅宮例祭(4月3日)

安産守護である梅宮の例祭で、安産を祈願する祭です。昭和23年当時、盛岡市内の産婆たちが中心となって祭典を行っていました。いつしか、その梅宮奉賛婦人会は解散し、現在、盛岡八幡宮敬神婦人会の皆様の強力を得て行っています。


祈年祭 (4月15日)

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八幡宮3大祭のひとつで、春のはじめに稲が豊かに実ることを祈る祭です。祈年祭(きねんさい)は、奈良・平安時代には、朝廷の祭儀をする神官によって行われた伝統あるものです。「としごいのまつり」「春祭り」ともいわれています。「とし」とは穀物のことで、とくに稲をさします。 春のはじめになると神さまは里に降りられ、秋の収穫が終わるとともに山に戻られるという昔からの信仰があり、この祭りが行われています。

6月/高倍神社例祭・夏越大祓式・茅ノ輪神輿神事

高倍神社例祭(6月15日)

宮中の食礼法の源を築いた磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)と包丁式を確立した四条中納言藤原政頼卿の二神をお祀りしております。6月15日の例祭においては、盛岡調理師会による料理展示を始め、古式に習った「包丁式」を奉仕しております。 包丁式はまな板の上の魚には一切手を触れず、包丁と箸だけで鯛を料理する名人芸であります。装束に身を包み、古式に習った作法。包丁の使い方一つをとっても厳格な決まりがあり、刀を操るように優美な線を描く様は、職人はもとより多くの方々を魅了します。


夏越大祓式(6月最終日曜日)

大祓は夏と冬の年2回行われています。夏越大祓式には境内の鳥居に茅ノ輪が設置されます。この茅を編んで作った大きな輪をくぐると罪が除かれ、心身が清らかになるといわれています。この日は茅ノ輪くぐりをする人々で賑わいます。


茅ノ輪神輿神事(6月最終日曜日)

夏越大祓式のときに行われます。茅ノ輪神輿を盛岡八幡宮南會の皆様が中心となり担いで、門前町内に繰り出します。門前町内の罪やけがれを茅ノ輪に託して祓い清め、郷土の繁栄を祈るという全国でも珍しい神事です。

8月/笠森稲荷神社例祭・神明社例祭・戦没者追悼平和祈願祭

笠森稲荷神社例祭(8月8日)

五穀豊饒、商売繁盛の神として祭る笠森稲荷神社の例祭。8日の当日は午前11時から笠森稲荷神社の崇敬講の人々によって行われます。昭和32年頃は盛岡市内八幡町を中心とした人々が祭典を行っていましたが、その人たちが昭和35年に崇敬講を結成し、現在の形となっています。


神明社例祭(8月8日)

天照大神を祭る神明社の例祭。古い書物には、旧暦の7月16日、17日の両日行われ、見世物や鹿踊などを楽しみにくる見物客も多く、町が賑わったことが書かれています。 また祭礼のとき、参道でしょうがを売る風習があったため、この社の付近の町名を生姜町(しょうが:現在の神明町)と言いました。しょうがは悪を遠ざけ、神さまに通じる意味があり、今でも例祭のときには神さまにお供えしています。


戦没者追悼平和祈願祭(8月15日)

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大東亜戦争の終戦記念日に毎年、岩手護國神社で行われます。また、戦没者の名前を記した火焚串(ひたきぐし)に祈りを込め、戦没者の鎮魂と平和を祈る火焚神事も合せて行われます。

9月/例大祭

例大祭(9月13日~16日)

盛岡の秋祭りでもある八幡宮例大祭は、13日の宵宮祭からはじまり、14日の神輿渡御、15日の例大祭・崇敬者大祭、16日の神事流鏑馬(やぶさめ)と4日3晩、盛岡の街全体が賑わいます。このほか、献茶祭、稚児社参など、さまざまな催しがあります。約10万人の参拝者が訪れます。 初めての祭典は、八幡宮が完成した翌年の延宝9年(1681)、旧暦の8月14日から3日間、盛大に行われたと伝えられています。


盛岡山車(9月13日~16日)

盛岡山車行事は盛岡八幡宮の例大祭中に行われます。盛岡山車は、京都祇園祭、江戸三社祭の出し物の長所を取り入れて、天(松・桜・藤・牡丹・竹)、人(人形)、 地(岩)、海(波・シブキ・滝)の法則が定まっています。歌舞伎や歴史上の名場面を飾り付けた各町内の山車10台余が豪華さを競い合います。 宝永6年(1709)、南部藩の街造りの完成を祝い、若衆が町のシンボルである丁印(ちょうじるし)を八幡宮に奉納したのがはじまりと伝えられています。


神輿渡御(9月14日)

以前は、14日、盛岡城内の鳩森八幡社から新八幡宮(当宮)へ神輿(みこし)の渡御(とぎょ)が始まります。豪華な行列が延々1キロメートル続き、約500人の行列で賑わいます。城内の八幡社の神さまを神輿にうつし、渡御によって八幡宮にうつり、14日、15日の両日、八幡宮に泊まられました。16日には再び神輿に乗って八幡社にお帰りいただいておりました。神輿渡御は延宝9年(1681)にはじまりました。


奉祝社参(9月14日)

例祭期間中の9月14日夕刻(午後5時)から門前会が中心となってみんなで参拝してパレードが行われます。祭典をいっそう盛り上げるとともに、地域の活性化をはかるためです。 パレードは盛岡市肴町商店街から盛岡八幡宮までの約1.7キロメートルの区間、神輿・山車・子供さんさ太鼓・おはやしなどが、賑やかに繰り出されます。日が暮れると、山車の明かりが浮かび上がり、幻想的な風情となります。


お稚児さん参り(9月15日)

このお稚児(ちご)さん参りは、例祭期間中の9月15日に行っている行事です。毎年2歳から小学校1、2年生くらいまでの男女約150名前後が参加します。きらびやかな冠(かんむり)と装束で着飾った子どもたちが八幡宮までの沿道を練り歩きます。神前でおはらいを受け、これまでの成長に感謝するとともにこれからの健やかな成長を祈ります。 参拝後、境内で記念写真を撮っている風景が印象的です。


神事流鏑馬(9月16日)

南部第13代守行公が応永25年(1418)、三戸にいた頃、櫛引八幡宮へ天下泰平・国家安穏・南部保全・子孫繁栄を祈願して行ったのがはじまりです。当宮では、延宝9年(1681)から明治40年(1907)頃まで続き、昭和25年(1950)、再び復活しました。 良馬にまたがった射手奉行(いてぶぎょう)が3本ずつの矢を三度放って、その命中率を競うものです。五穀豊饒、国家の安泰、氏子たちの家内安全を祈願する祭典です。 延宝9年(1681)、八幡宮初の神事流鏑馬では、総指揮官ともいえる総奉行には佐藤甚之丞が務めました。このときの成績は矢の数27本の内、はずれた矢は2本だけでした。当日は藩主、奥方、若殿、姫君、藩の重役たちが見学し、町内の人々も土手の上の見物席から見学したということです。


川原祓儀

流鏑馬の当日早朝、中津川の川原で弓を射るなどの奉仕員と馬が祓い清められます。その後、神前で「流鏑馬神前の儀」が行われます。「神事流鏑馬を行います」ということを八幡大神様へ報告する儀式です。 また、馬場と一の的、二の的、三の的も念入りに祓い清められます。これを「馬場清めの儀」といいます。


馬場入れの儀


介添奉行

「馬場清めの儀」のあと、「馬場入れの儀」があります。太鼓役に続いて、素襖(すおう:江戸時代の武士の礼服)に侍烏帽子(さむらいえぼし)の装束をまとって、馬に悠然とまたがる総奉行が登場します。射手奉行3名、介添奉行3名も馬にまたがり、馬場を確認します。 総奉行は、やぶさめの総指揮官のような役割で、もともと石高(こくだか)千石以上の格式の高い武士が務めていました。射手奉行、介添奉行は石高三百石以上の藩士が奉仕していたと伝えられています。


本儀

「馬場入れの儀」のあと「本儀」が行われます。総奉行はまずスタート地点の乗出から静かに進み乗止で馬を降りて床几(しょうぎ)に腰掛けます。 各的奉行が的を点検し、総奉行の合図で、一の射手奉行から駆け出します。馬上から一の的、二の的、三の的の順に弓を射ていきます。乗止で駆けるのを止め、裏馬場へまわります。それから、一の介添奉行が乗出より駆け出して、馬上で扇を開き両手を上げて「ヨウイタリア」と高らかに賞賛し、馬止めで馬を止め、裏馬場にまわります。 二と三の射手奉行、介添奉行も同じように続きます。各々三度繰り返してから、奉 仕員一同が神前に向かい、馬上から拝礼して本儀は終了します。

10月/七五三祭

七五三祭(10月15日~)


千歳飴

七五三祝は、男の子が3歳と5歳、女の子が3歳と7歳のとき、神さまにお参りして、子どもの成長を感謝し、これからも元気で成長するように祈ります。 七五三が11月15日に定着したのは、天和元年(1681)、徳川綱吉の子徳松君が、この日に祝ったのがはじまりと伝えられています。 この地方では11月になると寒さが厳しくなり、子どものお参りが大変になるため、通常より1カ月早く七五三参りが行われます。

12月/新嘗祭 ・師走大祓式

新嘗祭 (12月1日)


師走大祓式(12月15日)

半年に1回ある大祓で、年末に行います。 人は生活しているうえで知らずに他人を傷つけたり、罪を犯したりしています。このようなさまざまな罪をはらい去り、正しく清められるように祈る行事が大祓なのです。

毎月/月次祭(毎月1日・15日)

毎月1日と15日に行われる祭りです。国家の繁栄、皇室の安泰、国民の繁栄を祈ります。どなたでもご参列頂けます。

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