Loading

境内案内

盛岡八幡宮 周辺

社殿(しゃでん)

社殿

 盛岡八幡宮は今から300 年以上昔の延宝8年(1680)、第29代南部重信公により建立されました。盛岡八幡宮に祀られている神は、品陀和気命(第15代応神天皇)で、農業、工業、商業、学問、衣食住など人間生活の根源の神として、昔から地域の人々の多大なる崇敬を集めてきました。

明治17年(1884)の盛岡大火などの災害や永年の風雪被害を受けて社殿は再建がくり返され、現在の社殿は平成9年12月に新八幡宮として建て直されました。色あざやかな彫刻の施された朱塗りの大社殿が、新しい「盛岡の顔」として堂々たる風格を漂わせています。県下一の大社として、また人々の生活に根ざした信仰や祝い事の拠りどころとして、現在も年間を通して多くの参拝者で賑わっています。

人生には自分の力ではどうにもできない運気の浮き沈みがたくさんあります。その運気の変化で重要なもののひとつが「厄年」です。厄年には昔から「何か良くないこと、災いがある」「気をつけたほうがいいよ」と言った警戒する言葉があります。厄年にはなにか災いが振りかかるといわれています。

例大祭(9月13日~16日)

盛岡の秋祭りでもある八幡宮例大祭は、13日の宵宮祭からはじまり、14日の神輿渡御、15日の例大祭・崇敬者大祭、16日の神事流鏑馬(やぶさめ)と4日3晩、盛岡の街全体が賑わいます。このほか、献茶祭、稚児社参など、さまざまな行事があります。期間中は、約10万人の参拝者が訪れます。
初めての祭典は、八幡宮が完成した翌年の延宝9年(1681)、旧暦の8月14日から3日間、盛大に行われたと伝えられています。

拝殿正面

拝殿正面

盛岡八幡宮の正面階段を登ると拝殿が見えてきます。拝殿の正面には扉がありますが、誰でも、いつ何時でも参拝できるようにと、24時間扉が閉められることはありません。拝殿の中では、各種恒例祭や神前祈祷が厳かに執り行われます。
拝殿の内外には、岩手県の「県花」である桐の花の彫刻が華麗な装飾が随所にほどこされています。正面扉の上には旧拝殿から引き継がれた「八幡宮」の額があります。

拝殿内部

拝殿内部

本殿の上拝殿に対し、ここは下拝殿と呼ばれます。ここで雅楽の音とともに巫女の舞いや祝詞奏上が行われ、初宮参りや七五三、厄除けなどの各種の祈祷が行われます。

吽形

阿形

鳩の木像。狛犬などと同じように神に仕える動物(眷属:けんぞく)のひとつです。2体で一対となっていて、片方の鳩は口を開け(阿形:あぎょう)、もう一方の鳩は口を閉じています(吽形:うんぎょう)。

儀式殿(結婚式場)

儀式殿

拝殿の続きにあるのが、ひのきの香りの清々しい儀式殿です。ここで神前結婚式が行われます。100人は収容できるという広々とした空間です。

本殿(上拝殿)

本殿・上拝殿

下拝殿の拝殿のさらに奥、八幡山のほぼ頂上に位置しているのがこの本殿です(平成5修築)。八幡大神を中心に春日大神、白山大神の三神がおまつりされているところで、本殿の中には神職の中でももっとも位の高い宮司(ぐうじ)しか入ることができません。ここは上拝殿とも呼ばれ、月2回の月次祭等に使用されます。


手水舎(てみずしゃ)

手水舎

参拝の前に手や口を清める手水舎(てみずしゃ)に使われているのは、「水堀石」といわれる大石です。もともとは岩手郡内北の浦の滝壺にあった石で、流水によって自然にくぼみが形づくられた珍しい石です。明治9年の明治天皇の東北御巡幸の際、これに似た石に水をため鱒を放していたところ、それを天皇が御足を止めて御覧遊されたとの記録もあることから、明治21年の八幡宮再建時に、八幡町の人びとが水堀石を神社に奉献しました。

手水舎では、柄杓で水を汲み、両手を順番に清めます。次に手に水を受けて、口をすすぎます(柄杓に口をつけてはいけません)。手水舎の上には「洗心」という言葉が掲げられていますが、これには手を清め、口をすすぐことで、心も洗い清められるという意味があります。


社号標「盛岡鎮守」(もりおかちんじゅ)

盛岡鎮守

この「盛岡鎮守」の碑は、皇太子妃雅子さまの曾祖父(そうそふ:おじいさんの父)にあたる海軍大将・山屋他人が書いたものです。八幡町の正面石の一の鳥居の左側にあり、盛岡八幡宮のシンボルともなっています。


神宝殿(しんほうでん)

神宝殿

八幡宮に古くから伝わっている宝物や後世に伝えたい重要な奉納品が数多く保管、 展示されています。

代表的なものは、脇指(わきざし)、「蛇切丸」の異名をもつ宝刀、獅子頭など。脇指(岩手県指定有形文化財)は初代国義(現在の福岡県の出身で、延宝の初め南部重信にやとわれました)が制作し奉納したと伝えられています。

宝刀「蛇切丸」(岩手県指定有形文化財)は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての作で、玉山氏の先祖である大和の守が、陸奥三戸蓑ヶ坂において大蛇を退治したと伝えられています。獅子頭(盛岡市指定有形文化財)は、延宝9年(1681)8月、八幡宮のはじめての祭礼のとき、藩主が贈ったといわれています。

主な御神宝

獅子頭
  • 獅子頭

神輿殿(みこしでん)

祭典のときの神輿渡御(みこしとぎょ)に使われる神輿を納めております。
八幡宮には延宝9年(1681)から現在まで300年以上も用いられてきた旧神輿と、漆仕上げの上に螺鈿(らでん)をほどこした東北唯一の重厚な新神輿があります。

笠森稲荷神社・神明社

笠森稲荷神社(かさもりいなりじんじゃ)

笠森稲荷神社

笠森稲荷神社は八幡宮が建てられる前から八幡山の山頂に祀られていました。神さまは宇迦之御魂命で、五穀豊穣・商売繁盛、さらにできものの守り神として、歴代藩主から一般庶民まで広く信仰されていました。

一説にはこの付近にすんでいた彌吾郎長者の守り神であったと伝えられていますが、本当かどうかはわかりません。また、全国にあるいずれの笠森稲荷の分社であるかも不明です。現在の地(八幡宮境内)にうつったのは、昭和32年(1957)で、その3年後の昭和35年(1960)9月、笠森稲荷神社崇敬講の人々により現在の社殿が建てられました。

できものの守り神としては、徳川家康が瘡病(そうびょう:できもの)で苦しんでいるとき、江戸・谷中の感応寺境内にある笠森稲荷にお祈りしたところ、全快したという伝説が残っています。江戸の笠森稲荷と同じように、昔からできものなどをいやしてくださる神さまとして祈願する風習があったようです。

笠森稲荷神社例祭(8月8日)

五穀豊穣、商売繁盛の神として祀る笠森稲荷神社の例祭。8日の当日は午前11時から笠森稲荷神社の崇敬講の人々によって行われます。昭和32年頃は盛岡市内八幡町を中心とした人々が祭典を行っていましたが、その人たちが昭和35年に崇敬講を結成し、現在の形となっています。


神明社(しんめいしゃ)

神明社

祀られている神さまは天照大神(あまてらすおおみかみ)です。

延暦の昔、坂上田村麻呂が盛岡の仁王に建てたのがはじまりです。元禄時代には煙草丁(現在の明神町)に、その後八幡山にと移されました。明治17年(1884)盛岡の大火により焼失しましたが、昭和43年(1968)明治維新100年を記念して現在の地に祀られました。

自光坊の先祖が伊勢にご神体をうけて、盛岡の仁王に祀ったという話しが伝えられていたり、神さまを移すときには5尺(約150)くらいの柱を霊代にして、自光坊自ら背負っていったとの言い伝えも残されていますが、本当のことはよく分かりません。

藩政のころ神明社所属のことで、自光坊と鈴木神職との間で争いが生じました。自光坊が訴訟に勝ち、それから自光坊の力によって神明社が発展してきたそうです。

岩手護國神社 周辺

岩手護國神社(いわてごこくじんじゃ)

岩手護國神社

戦争で亡くなられた岩手県に関係する人々の魂をお祀りしている神社です。

始まりは、明治2年、当時の県知事である南部利恭によって、岩手郡東中野村茶畑(現在の盛岡市内)に社殿が建てられたことによります。そのときお祭りしたのが、明治維新のときに国のために働いて亡くなられた勤王の志士である目時と中島の2柱です。その後、戊辰・西南の役、日清・日露、第一次世界大戦、大東亜戦争にいたる多くの戦争において戦没されたおよそ35,800柱の英霊をお祭りしています。

明治39年盛岡八幡宮境内に移され、昭和14年に「岩手護國神社」と改称しました。

春季慰霊大祭

春季慰霊大祭は毎年5月3日に盛大に行なわれます。月次祭(毎月1日)、命日祭(毎月15日)、歳旦祭(1/1)、戦没者追悼平和祈願祭(8/15)、秋季慰霊祭(10/1)、創建記念祭・維新十柱祭(11/1)


平和の塔

平和の塔

戦没者の魂を鎮め、平和を願う心の象徴として建てられました。


戦没者遺骨奉安殿(せんぼつしゃいこつほうあんでん)

戦没者遺骨奉安殿

身寄りのない戦没者の遺骨を安置しています。


霊璽簿奉安殿(れいじぼほうあんでん)

霊璽簿奉安殿

岩手護国神社に祭られている、戦没者と遺族の名前を記した名簿を保管しております。

境内の末社

縁結美神社(えんむすびじんじゃ)

縁結美神社

男女の縁、人と人の縁を結ぶ神社として良縁を願う人達が多く訪れます。
赤い結び紐を境内に結び、良縁成就、恋愛成就を願います。


高倍神社(たかべじんじゃ)

高倍神社

高倍(たかべ)神社に祀られているのは、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)と四条中納言藤原政朝卿(しじょうちゅうなごんふじわらのまさともきょう)です。この神さまは、醤油や味噌などの調味料や料理、飲食店の守り神として知られています。調理技術によいということから、女性の守り神であり、調理を商売にしている人々の守り神として敬われています。この神さまが祭られているのは関東以北ではこの神社だけです。

たかべの名前は千葉県安房郡千倉町の高家(たかべ)神社に祭られている高倍神(たかべのかみ)磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)から付けられたことが伝えられています。

高倍神社例祭・包丁式(6月15日)

料理の守り神として祀られている高倍神社の例祭。例祭の後、岩手県内の調理師会の人々によって包丁式が奉納されます。手を直接触れず、息をかけずに魚をさばいていく伝統的な儀式です。


庖丁塚(ほうちょうづか)

庖丁塚

庖丁が納められている塚です。庖丁は料理をするときもっとも大切な道具。料理人の心を表し、料理に命を吹き込みます。料理人の魂ともいえる庖丁がこの塚に眠っています。


交通安全祈祷殿(こうつうあんぜんきとうでん)

交通安全祈祷殿

車を購入した時に、交通安全をお祈りしてお祓いを受けるところです。この社は「面向不背の社(めんこうふはいのやしろ)」といって、表と裏のない造りになっています。どちらにも背を向けず、中心を正し、不注意にならないようにとの意味が込められています。

車両とそれを運転する人の交通安全を祈願します。車はドアをすべて開けた状態で、お祓いと祈祷を受けます。

交通安全・車祓い(心の車検)

交通安全祈祷殿祓い

新車を購入したときには、神さまに無事故を祈り、自分の心に交通安全を誓うようにします。そのあと、車に事故がないようにおはらいをします。車は車検によって定 期的に整備されますが、ドライバーの気の緩みを直すことはできません。年に一度、お祓いを受け、神さまに誓った交通安全を忘れることがないように、ひとつのきっかけとしていただければうれしいです。新車・中古車を問わず交通安全の祈願をします。


梅 宮(安産祈願の社)(うめみや)

梅 宮

祀られている神さまは酒解神(さかとけのかみ)、酒解子神(さかとけこのかみ)、大若子神(おおわくごのかみ)、小若子神(こわくごのかみ)です。

寛保元年(1741)、南部23代利視公が人々の子孫繁栄を願って京都梅宮大社の御分霊を祭りました。安産、婦人、醸造の守護神として歴代の藩主から庶民にまで深く信仰を集めてきました。

旧藩時代、笠森稲荷神社の近くにありましたが、明治時代の盛岡の大火によって焼失してしまいました。それから、その神さまは八幡宮本殿に安置されていました。信仰が厚かった人たちが本殿の建築費を寄進し、大正3年、社殿を現在の地に再建することができました。

梅宮例祭(4月3日)

安産守護である梅宮の例祭で、安産を祈願する祭です。昭和23年当時、盛岡市内の産婆たちが中心となって祭典を行っていました。いつしか、その梅宮奉賛婦人会は解散し、現在は、盛岡八幡宮敬神婦人会が行っています。


大国・恵比寿様(だいこく・えびす)

大国・恵比寿様

大国様は大国主命(おおくにぬしのみこと)と言います。大きな福袋を肩にかけ、人々に幸福を運び、農耕の神・縁結びの神さまとして庶民に親しまれています。日本の国ができるときに貢献した神さまの中で一番尊い神さまとして敬われ、島根県出雲大社に祭られています。
右手に釣り竿、左手に大鯛を抱えている姿で知られている恵比寿様は、事代主命(ことしろぬしのみこと)と言います。日本国が創られるとき、「日本国は天孫(てんそん:皇室の先祖)に献上なさるのがよいでしょう」と大国主命に決断させた功績によって一言主神と言われる神さまです。また、海の事に従事されたところから、豊漁の守護神・海の守り神として尊ばれ、さらに海と陸との交流をもたらした商売繁盛の神さまと慕われています。


十二支神社(生れ年守護の社)(じゅうにしじんじゃ)

十二支神社

十二支の生まれ年ごとにひとつずつ守り神があるとする、土着的な民間信仰が元になっています。子年生まれは出雲神社、寅年生まれは八坂神社、亥年生まれは鳩森八幡神社と、十二支の動物が仕える神を祭る神社が、12社並んでいます。1年に1回、自分の生まれ年の神を拝むとよい御加護があると言われています。


盛岡天神社(もりおかてんじんしゃ)

盛岡天神社

祀られている神さまは学問の神さまである菅原道真公です。八幡宮が造営される以前からこの地に祭られていましたが、寛文年間藩の命令によって花垣(現在の天神山)へ移されました。毎年、受験シーズンには、合格祈願の参拝者でたいへん賑わっています。昭和60年(1985)社殿を建立し、お祭りしました。


健康神社(けんこうじんじゃ)

健康神社

肺神、肝神、腎神、心神、脾神といった五臓の神のほか、癌神、中風神、健康神、生命神、薬神など、健康にまつわる神々が祀られています。足腰の健康を願って、わらじを奉納していく参拝者もいます。


阿国稲荷神社(おくにいなりじんじゃ)

7-4-9

阿国稲荷神社

芸能上達の神様をお祀りしています。

石碑・施設

青銅燈篭(せいどうとうろう)

青銅燈篭 全体図

青銅燈篭 近影図

 盛岡城下の御用職人、藤田善兵衛秀彰と弟、善蔵情有の作で、文化9年(1812)城下の庶民によってたてられたものです。南部36代利敬(としたか)公が「八幡宮」の文字を削り、無理に札の辻に運びましたが、8年後、八幡宮に戻されました。


米内光政銅像(よないみつまさどうぞう)

米内光政銅像

米内光政(よないみつまさ)は明治13年3月、盛岡市生まれ。海軍大臣、内閣総理大臣の職についた人で、太平洋戦争の終結に貢献しました。ここに銅像ができたのは、幼少時代をこの地で過ごした経緯があるからです。昭和34年、米内光政銅像建築会によって設立されました。米内光政の文字は米内自身の筆跡です。


盛悠館(せいゆうかん)

盛悠館

神社の事務的な窓口です。祈祷は拝殿の横に専門の受付がありますが、それ以外の各種問い合わせや会場使用の申し込み、見学の申し込みなどはこちらへどうぞ。また社務所内の一角には写真場があり、神前結婚式や初宮参りの記念写真撮影はこちらで撮ることが可能です。


参集殿(さんしゅうでん)

参集殿

結婚式などの控室として使用できる洋室が1~2階で15室あります。披露宴会場として使う場合は、1階は(収容人員100 人)、2階は(収容人員200 人)の広さになります。各種展示会会場としても使用できます。問い合わせ、申し込みは社務所まで。


崇敬殿(すうけいでん)

崇敬殿

平成26年の秋にリニューアル。大小宴会、各種展示会、各種会議場に使用できます。使用の問い合わせや申し込みはお気軽に社務所までどうぞ。


田村了咲句碑(たむらりょうさくくひ)

田村了咲句碑

「芹の水満ことなく減ることなく」という句があります。これは、俳誌「夏草」に発表した代表作のひとつ。
了咲は明治40年盛岡市に生まれ、昭和2年高浜虚子の「ホトトギス」に入門。昭和5年「夏草」創刊により、山口青邨に師事。「楡の杜」「中尊寺馬車」など句集を発表。昭和55年、72歳の生涯を閉じました。


巌鷲山(岩手山)石碑(がんじゅさんせきひ)

巌鷲山(岩手山)石碑

弘化5年(1848)、修験者自光坊の屋敷に建立されました。この碑には伝説があります。侍が夜道を歩いていると、大入道があらわれ、侍は刀を切りつけました。ところがよく見るとこの石碑で、刀痕(かたなきず)だけが残ったということです。近所の民家にたたるというので、明治26年八幡宮境内に移転されました。


明治天皇御聖像・御聖跡碑(めいじてんのうごせいぞう・ごせいいひ)

明治天皇御聖像

御聖跡碑

 どちらも明治9年明治天皇御巡幸を記念して建立。聖像は昭和50年、碑は昭和15年に建てられました。御聖跡碑は、当神社の馬場にて、明治天皇が県内で産まれた馬を天覧してくださったことを記念したもので、「明治天皇産馬天覧御聖跡」とあります。松橋宗吉氏、松橋喜之助氏、村松保三氏の3名によって贈られました。


客殿(きゃくでん)

現在、来賓の迎賓館として使われています。

PAGE TOP